
はじめまして。心理カウンセラーのえっこです。
過保護、過干渉で育ったわたしは、いつも人任せ運任せの甘ちゃんでした。
けれど、心の奥深くでは、こんなんじゃいやだ。もっと私らしいより良い生き方をしたいとずっと願ってきました。
そんな思いからスピリチュアル系含め心理的な講座を学んできました。一緒に本当は何を望んでいるのか心の中を探ってみませんか。
過保護、過干渉で育った子供時代自分の羽で飛べない悔しさ

私は、4人家族の次女、末っ子として甘やかされて育ちました。
父と母は私と姉に愛情を注いでくれましたが、過保護、過干渉な面もあり、思春期時代のわたしは、もう放っといての思いから、何を聞かれても「関係ない」というのが口癖でした。
その頃のわたしは、いちいち口出しや心配をされる度に自分の羽をもがれるような腹立たしさを覚えていたのです。
そんな環境でいつしかわたしは、自分で考えて行動するのではなく、あるがままに流される自分軸のない問題先送り型の生き方をするようになっていたように思います。

波乱づくめの結婚生活思いやりのないケンカばかりの日々
結婚も、なんとなく「この人でいいかな」と選んでしまった。 「ダメだったら、離婚すればいい」 そんな軽さで始まった生活は、案の定、思いやりを失った日々の連続でした。

倹約家の父のもとで育ったわたしは、 夫との経済的な価値観の違い、お互いの我の強さから、ぶつかり合ってばかりいました。
覚えているのは、夜中夫が二階で大いびきをかいて寝ている中で、わたしはそれを聞きながら一階の台所で泣きながらやけ酒を飲んでいる光景です。

そんな負のエネルギーが溜まっていたのか、わたしは事故にあってしまいました。ロングスカートを穿いて自転車を飛ばしていたところ、スカートの裾をタイヤにからませ転倒してしまったのです。
起き上がる事もできなかったわたしは、そのまま救急車で運ばれ入院し、足の3ヶ骨折という事で手術までする羽目になってしまいました。

退院後もまだギブスをしていたのですが、夫がわたしに寄り添ってくれることはなく、わたしの心はさらに冷え切っていきました。
その後、私の父や母が亡くなった時の夫の態度が許せず、一度は別居に至りました。
二度の別居生活を経て気づいたこと
二年後、一旦は寄りを戻したのですが、今は心の不安定な姉の世話をするという名目で、わたしは実家に戻り2度目の別居中です。
でも不思議ですね。少し距離を置いたからこそ見えてきたものがありました。「夫を心から愛してあげたことがあっただろうか」 「信頼を寄せたことがあっただろうか」 「なんでも自分の思いどうりにしたいわたしの我の現れだったのではないだろうか」

夫も寂しかったのかもしれないと思うようになりました。 今はラインや電話でやり取りして良好な関係です。
現実は自分の思考の反映それに気づくまで何度も繰り返す
結局、全ての現実は、自分が思っている事の反映(スクリーン)だと思うようになりました。

お金に苦労すると思えば、そういう現実が来るし、自分は可愛い、誰からも愛されると思えば、そういう現実が来るというようなものです。
負の思い込みを外す。それは簡単なようでなかなかできる事ではありません。それに気づくまで、現実は何度も同じようなシチュエーションを展開するのだと気づきました。
だからこそ、今は「意識の力」を信じています。 「自分は愛されている」と思えた時、世界が優しく変わっていくこと。 「自分は価値がある」と心から思えた時、本当に自分を大切にできること。
そんな気づきを、わたしはあなたと分かち合いたい。
苦しかった過去が、いつしか誰かの光になる。 それをわたしは知っています。
どうか、ひとりで悩まないで。 わたしと一緒に、心の中を見つめてみませんか?
